ミシン刺繍の知識

日本刺繍史

人類が最初に用いた衣は、木の葉や皮、獣の皮をつなぎ合わせたものであった。そのつなぎ合わすだけの実用のみを考えた繍(ぬい)が人間のもつ美的本能によって、次第に装飾的に進めていったのが刺繍の起こりであると思われる。


「絵」という文字が、糸を会わせる書くことから考えると、東洋における刺繍は筆による絵画より先に生まれたものであろうという説もうなずける。


刺繍の起源地はアジア地方であり、そこから東西に岐れ、東洋方面では主として鑑賞的に、一方、西洋方向では実用的に発達していったのである。


原始的な刺繍のことは、さておき、文化的に見て、我が国で刺繍が行われるようになったのは、大和時代の後期からである。今、日本の刺繍業界では吉備大臣(吉備真備)をもって刺繍の元祖としている。吉備(693~775)は、元正天皇の霊亀2年、24歳の時、阿部仲麿、僧元昉とともに留学生として唐に渡り、在留20年を経て聖武天皇の天平7年に帰朝した。


そのとき唐より縫工を伴って帰り、我が国に刺繍を伝え広めたのである。


吉備は、その後もさらに遣唐副使として唐に渡り、83歳の高齢に至るまで我が国の学芸界に尽くしたので、世に「吉備大臣」と尊称されて刺繍業界では、その業祖と崇め、毎年11月には祭祀を行っているのである。


ところが文献によると、吉備以前、我が国ではすでに刺繍が行われていたのであるが、敢て吉備を業祖とするのは、我が国人としてはるばる海外からこれを持ち帰り、その業を一般に広く普及した功績をたたえる意味からであると思われる。

 

我が国における吉備以前の刺繍については、次のような事蹟が知られている。
(1)応神天皇時代(吉備よりおよそ220年前)に百済(くだら)から縫衣女(きぬぬいおんな)が貢献され、また阿智使(あるのおみ)を派して、呉国から縫工女を求めたとの記録がある。
(2)推古天皇13年(吉備より120年前)鞍作島に命じて、銅繍丈六の仏像おのおの一身(いったい)を作らせた。
(3)推古天皇29年聖徳太子が薨じた時、太子妃橘大女郎(たちばなのおおいらつめ)が東漢末賢(あづまのあやはすえたか)、高麗加西隘(こまかせいく)、漢奴加己利(あやめのかこり)に下絵を描かせ、宮中の釆女(うぬめ)に刺繍させて天寿国曼荼(蛇)羅二張を作らせた。当時1丈6尺もあったという、その残欠が、現に大和の中宮寺に国宝として保存されている。
(4)孝徳天皇時代(吉備より90年前)に丈六の來侍八部衆など46像、また高さ2丈2尺7寸、広さ1丈2尺4寸の脇侍菩薩八部衆など26像を刺繍した。
(5)白鳳時代の制作と称される大刺繍の釈迦説法図が、現に山城の勧修寺に残っている。以上のようにして、我が国における刺繍は、大陸文化の輸入と、仏教信仰の象徴として繍仏曼荼羅などの形になって発達して行ったのである。

 

これは、奈良時代になってますます盛大となり、東大寺には高さ5丈4尺、広さ3丈8尺4寸の観自在菩薩二張を刺繍し、大寺には高さ2丈、広さ1丈8尺の大般若四処十六会図像、また、華厳七個所九会図像などを制作した。


しかし、これらの品は兵戦にかかって現存しないが、当時刺繍技術が大いに発達したことがうかがえるのである。これより中国刺繍模倣時代から、日本刺繍創始時代に入るのである。

 

藤原時代には、婦女子の衣服刺繍に螺鈿像(らてんぞう)嵌を混えるなどして、精巧美麗を競った。しかし、鎌倉、室町時代には、武、剛、健を高唱したため、刺繍術も粗野となり、武器調具等に刺繍が施されるようになり、沈滞した。桃山、徳川時代に至って、また復興し、西陣を中心として、在来の技法に中国、欧州風のものも入り、大いに発達したのである。


明治になって、京都の飯田新七、西村総左衛門、田中利七などが刺繍制作を奨励し、美を競う精巧な作ができ、海外にまで輸出するに至った。さらに帝展第四部設立以来、在来の単に精巧な作風より一歩進めて、刺繍特有の持味によって、一層芸術的表現を求めるに至ったのである。


現在、日本刺繍は、その応用方面が富に盛んになり、服飾の上ではなくてはならないほど利用されており、染色の上に立体感や、豪華さを施すのは刺繍でなくてはならないとされている。近頃、一般婦人層にも刺繍技術を習う人がふえ、伝統の日本刺繍が見直されている。これと並びジャガードとして、機械刺繍もまた盛大に行われている。


以上、日本刺繍の歴史を述べたが、現在刺繍専門家の工芸的刺繍の研究団体も数種活躍している。

出典:日本ジャガード刺繍工業組合発行「刺しゅうガイドブック」
著者:京都女子大学元講師 長村 華城 氏

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