組合の紹介
組合の沿革(昭和39年~昭和50年)
昭和39年 (1964年) |
10月21日 | 中小企業団体の組織に関する法律(昭和32年11月25日法律第185号)に基づき北海道を除く全国一円の団体として、通商産業大臣より認可。初代理事長に橋本友蔵氏就任。 |
11月18日 | 臨時総会を大阪府高石町羽衣荘において開催。 | |
昭和40年 (1965年) |
5月 | 第1回通常総会開催。パンチング事業、共同受注、副資材の共同購入、支部強化、会員増強、ジャガード刺繍機の研究会などを目的として業界関係者で組合加入をPR。 |
昭和41年 (1966年) |
5月31日 | 第2回通常総会開催。 |
11月29日 |
韓国との刺繍加工貿易に関する反対陳情書を通商産業省に提出。当時米軍より商社を通じ階級章を韓国に発注したところ、日本製より40%も安いためダンピング問題として、通商産業省生活産業局長に陳情。 |
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昭和42年 (1967年) |
2月17日 | 総理府長官より「日本標準産業分類」に刺繍の項目認可告示。 |
5月29日 | 第3回通常総会開催。 | |
昭和43年 (1968年) |
3月27日 | 理事長橋本友蔵氏が、多年刺繍関係の指導育成の功績により、藍綬褒賞を受賞。 |
5月30日 | 第4回通常総会開催。 | |
昭和44年 (1969年) |
5月25日 |
第5回通常総会開催。 |
9月~10月 | 合田峯松副理事長渡欧し、西ドイツザングス社を訪問。ジャガード機の機種の研究と、グーノルドパンチングセンターを視察、組合に情報を提供。 | |
11月5日 |
西ドイツイリス商会と数度にわたる交渉の結果、45年1月、機械を輸入。ジャガード刺繍機の研究に取り組む。 |
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昭和45年 (1970年) |
5月31日 | 第6回通常総会開催。 |
6月 | 第1回ジャガード刺繍研究会を開催。 | |
9月25日 | 日本ジャガード刺繍工業組合として日本万国博に協賛することに決定。 | |
昭和46年 (1971年) |
1月28日 | 大阪刺繍商工業協同組合主催の大阪刺繍展に組合として参画し、今後、毎年同刺繍展に出展することに決定。 |
3月15日 | 合田峯松副理事長、大阪府知事より技能顕功賞を受賞。 | |
5月25日 |
第7回通常総会開催。組合運営強化のため、関東地区吉川角平氏、両毛地区松井栄四郎氏、中四国地区尾崎靖衛氏を地区ブロック長に選任。 |
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10月11日 | 大阪府繊維工業協会主催の対米繊維問題打合会に、橋本友蔵理事長出席。 | |
昭和47年 (1972年) |
1月28日 | 大阪刺繍展において、刺繍マ-クをPR。 |
3月11日 | 合田峯松副理事長、渡米帰朝報告会開催。 | |
5月3日 | 合田峯松副理事長、大阪府知事より産業功労章受章。 | |
5月27日 | 第8回通常総会開催。ジャガ-ド刺繍機に関する研究会を開催決定。 | |
10月3日 |
第1回研究会 大阪 美馬ミシン本社。 | |
第2回研究会 名古屋 株式会社バルダン | ||
第3回研究会 東京 第一ホテル(株式会社バルダン協賛) | ||
昭和48年 (1973年) |
5月15日 | 第9回通常総会開催。日本全域の同業種の連合を目指し、組合機構の改革推進を図るため事業部を組織し、刺繍機用の綿糸の共同購入をすることを決定。 |
6月11日 | 東京事務所を設置。 | |
10月15日 | 日縫連への参加決定。桐生、栃木、愛知各支部の結成審議。 | |
11月3日 | 初代理事長橋本友蔵氏が業界功労者として勲四等瑞宝章受章。 | |
昭和49年 (1974年) |
5月31日 | 第10回通常総会開催。 |
6月3日 | 理事の定数15人を17人に、定款変更認可。 | |
6月22日 | 政府機関による特別融資制度が、通商産業省から認可。 | |
10月9日 |
刺繍糸商社と組合事業部による刺繍糸販売は廃止に決定。 | |
昭和50年 (1975年) |
3月15日 | 不況対策の一環として、政府の年度末特別資金融資を組合員に斡旋。 |
5月24日 | 第11回通常総会開催。専務理事須永大氏就任。 | |
9月5日 | 指定業種陳情の認可申請のため緊急役員会を開催。 | |
9月6日 | 第1回海外視察研修を実施。訪問国西ドイツ、イギリス、フランス、(団長 副理事長稲葉政司氏) | |
12月15日 | 昭和51年度中小企業近代化資金等助成法に基づく、「刺繍業」を通商産業大臣の指定業種認可申請書を提出。 | |
12月20日 |
政府の不況対策として、中小企業に対する年末特別融資総額3億円に決定。組合員に斡施。 |